注連飾り(シメカザリ)も取れぬ正月7日の未明JR下関駅が放火のため炎上、崩落した。
現駅舎は1942年(昭和17年)11月14日世界初の関門鉄道トンネル開通に伴い現在地に移転建設された物である。
先の大戦で市内が焼け野原に成ったにもかかわらず戦火から逃れ生き残ってきた。
お馴染みの三角屋根は当時、上野駅、西鹿児島駅、長崎駅ととも大規模駅のシンボルだった。
他駅は建て替えられ近代的駅に変ってしまい三角屋根、木造の駅舎は下関のみとなっていた。
当時、鉄筋4階建ての計画だったが、戦火激しき折り、木造2階建てでの仮建築だった。
戦後何度も立て替えの話が持ち上がったものの実現せず現在に至っていた。
門司港駅の重厚な煉瓦作りに比べ如何にも品粗な造作ではあるが、風情もあり63年間に渡り下関の顔でもあった。
沢山の人の人生の一こまの舞台であった駅舎が放火という信じられない行為によって一瞬のうちに失われ残念無念この上もない。
映画監督佐々部清氏のホームページの「ほろ酔い日記」1月8日付けに下記の記載がある。
・・・http://www.sasabe.net/・・・・・・・・・・・・・・・・・・
下関駅... [2006/01/08(Sun) 08:15]
慎んでお見舞い申し上げます。
下関駅全焼......。驚きました。
ニュースや新聞写真で見て、改めて大きな火災だったのだと...。
それも放火なんて...。ケガ人がいなかったのがせめてもの救いでした。
子供の頃から何度となく訪れた場所でした。また一つ大切なもの
が失われたような気がします。
『チルソクの夏』で撮影した矢玉漁港、お好み焼き店、もみじ湯、
ロープウェイなどが無くなり、今度は『カーテンコール』で撮影
した下関駅の三角屋根......。
僕が撮影する場所が何だか不思議に失われて行きます。
映画って、記録でもあるんですね。
・・・・・・・・・・・http://www.sasabe.net/・・・・・・・・・・
形有るものはいつかは無くなるのが世の常ではあるが、佐々部監督によってその映画のなかで「記録」としてフィルムに焼き付け、遺していただけたことは市民として有りがたい限りである。